自分のこと

見よ!これが自己肯定感低夫のブログ運営だ!

自分で言うのも何だが、俺はかなり自己肯定感の低い人間だと思う。

要するに健全な自尊心を持てていない。

そしてそのために、普通のブロガーよりもかなり
不利な立場に置かれていると感じることもある。

今回はそんな俺が、「見よ!これが自己肯定感低夫のブログ運営だ!」
と題して、自己肯定感が低いゆえに起こると思われる、
独特のブログ運営のやりづらさを書き綴ろうと思う。

おれ
おれ
自己肯定感低夫(じここうていかんひくお)ってのは俺の造語だ!文字通り自己肯定感の低い男のことだ!

もしあんたが同じく自己肯定感低夫だったり、自己肯定感低子(自己肯定感の低い女性)なら共感できるかもな!

見よ!これが自己肯定感低夫のブログ運営だ!

書いた記事に異様な羞恥心を覚えて消したくなる

どんな記事であれ数分で書けるということはまずない。

ものによっては数時間かけて書くものもある。

しかし、書いてしばらくすると内容に羞恥心を覚えて消したくなることがある。

たとえばこんなことを感じるのである。

  • 下らないことを書いたのではないか。
  • 自己満足的で偏重していないか。
  • 冗談めかしたところが寒々しくないか。

実際に下らないことを書くことはあるが、
本来そんなことは気にせずに新しい記事を書けばいいのである。

しかしどうにも強い羞恥心に襲われて消したくなることはままある。

特に、書いた当日にそうなることは滅多にないが、一晩寝て書いたテンションから気分が変わると、強い羞恥心を覚えることがあるのである。

書いた記事に罪悪感を覚えて消したくなる

これも似ているが、今度は羞恥心ではなく、罪悪感から消したくなることがある。

 

最近でいえば、「神よ、~~」みたいなシャレを書いたら、
これはクリスチャンが見たら不快になるのでは
と、こうして書いてみると滑稽な罪悪感を覚えて消したくなった。
(今のところは消してない)

 

トレンドブログをしていた時も、これで消したことがある。

というのも、そもそもトレンドブログは下世話な記事が多くなりがちなので、
記事で話題にした当人に対して罪悪感を覚えることがあるのである。

それが原因で、Googleアナリティクスのアクセス数測定で明らかにヒットした記事を消してしまったこともある。

 

消したくなる範囲は、記事丸ごとの時もあれば部分的なこともあるが、
実際、羞恥心であれ罪悪感であれ、どちらの理由でも、
本当に消してしまったことはたくさんあるのである。

アクセス数を見ることができない

私の場合、ブログ運営の方針や方向性に自信が出るまでは、
アクセス解析でアクセス数を見ることに強い困難を感じる。

というのも、それがあまりに少ないと簡単に心が折れてしまう気がするからである。

一方で、アクセス数が想定より多いのでは、ということにも怖れを感じる。

いわば、知られないことにも知られることにも恐怖を感じるのである。

だから実際、このブログのアクセス数は未だに一度も見ていない。

自分を知られることに深い怖れを感じる

これは先ほどの「アクセス数を見ることができない」の後者のバージョン、
「アクセスが多いかもしれないことに関する怖れ」に関連したものである。

私は、自分を知られることに異様に深い怖れを抱いている。

それは自分でも説明のできないような深い怖れである。

それは「深い怖れ」という言葉以外では説明のしようのないものだ。

トレンドブログで助かったのは、それが基本的にセルフブランディングをしなくていいメディアだということもあった。

しかし、いつまでもセルフブランディング抜きでやっていくのは、
ネットビジネスとしては明らかに非効率だから、
今はこのように方針転換してやっているが、やはり困難を感じている。

 

こうした事情だから、顔出し・名前出しは基本的に不可能である。

たまに当たり前のように顔出し・名前出しでブログをしてて、
当たり前のように「顔や名前を出した方がブランディングのためにいいよ!」
みたいなことを言ってるヤツを見ると、控えめに言って

おれ
おれ
君は何を言うとんねん

みたいに、巨人師匠化する自分を感じるのであった。

最後に

ここで書いた私の特徴は、人によっては「自己肯定感の低さ」というくくりで見るのは相応しくないと感じるかもしれないが、とりあえずそんなところである。

 

おれ
おれ
はあ、疲れた。やっと書き終えたか

 

しかしこうして苦労して書いた記事でも、後から消したくなることがままあるのだから、厄介なものである。

(おしまい)