自分のこと

あの頃の自分を思い出せ!ネット掲示板という小世界を崩壊させた日

ひとつ前の記事で「自分を知られることに恐怖を覚える」ということを書いた。

見よ!これが自己肯定感低夫のブログ運営だ!

しかしいったい、いつから俺はこんなに憶病になったのか?

ふと過去のことを思い出した。

今から20年ほど前のことである。

俺が不登校の高校生か、もしくは既に退学して何もしていなかった頃、ネット掲示板という小世界を自分の言動がきっかけで崩壊させたことがあったのだ。

ネット掲示板という小世界を崩壊させた過去

あるネット掲示板の平和な日常

そのネット掲示板は、文学をテーマにした掲示板で、掲示板の他にチャットもできて、俺は両方の常連だった。

既に学校に行っていなかった俺にとって、家族やお店の店員さんを除けば、唯一の他人との接点で日常の楽しみといえるものだった。

チャットでは色んな人と話した。たとえばこんな人がいた。

  • 何歳か年上の芸人志望のお兄さん(大学生くらいか)
  • 高校で演劇部所属で脚本を書いているという人(1、2歳上だったか)
  • 精神病院に入院した経験のある男性
  • 双子の片割れというお姉さん
  • 掲示板常連の「U」
  • くたびれた感じの中年サラリーマン

おそらく掲示板の常連は、高校1,2年くらいの年齢だったこともあり、私が一番年少だったのではないかと思う。

最後のくたびれた感じのサラリーマンは、チャットでガキの薄っぺらい意見を偉そうに吐いていた俺に、「卓見(たっけん)ですな」皮肉を言ってきた。

「卓見」(すぐれた意見)という言葉を知らなかった俺はすぐに国語辞典を調べたが、「すぐれた意見」と出てきたので、皮肉を言われたことに気づかずに「それほどでもないよ」と機嫌を良くしていた。

オッサンは「いや、皮肉だよ」などとは言わず、面白い奴と思われたのか、それがきっかけで仲良くなったという今となっては微笑ましい記憶がある。

掲示板の常連で変態のU

ところで本題だが、このお話で重要な鍵を握っているのが掲示板常連の「U」である。

Uはあくまで掲示板の常連でチャットには出没しなかった。

そこは文学の趣味を語り合う掲示板なので趣味がバレるわけだが、Uのお気に入りの作家は永井荷風だった。(これも後で関係してくる)

コイツ自身の言うところを信じるなら、コイツはある程度の年配者で、孫のいる爺さんだという話だ。

そして、コイツには「分かりやすい変態」という特徴があった。

うろ覚えだが、嘘か真か「孫の女児とお風呂に入ったら指が○○○に○○てしまった」みたいなエゲツナイ話を掲示板に書いていた記憶がある。

ただコイツは最初から変態性が明らかだったのか、後から発覚したかははっきり覚えていない。また、稀には他の常連とマトモな会話をしていることもあった気がする。

なぜか掲示板の常連を片っ端から罵倒し出したオレ

こんなことを正直に書けばドン引きされるだろうが、事実なのだから素直にそう書くことにする。

ある日、俺はなぜか、思いつきで掲示板の常連を片っ端から罵倒した。

当然、その中には掲示板常連の変態・Uも含まれていた。

しかし、Uのようにマトモじゃない奴も罵倒したが、別に何の問題もない奴でも罵倒した記憶がある。

全員を罵倒した理由は今でも分からない。

たぶん理由なんてなかったと思う。

あるとしてもせいぜい「なんか面白いかな」程度のものだったろう。

余談だが、こんな馬鹿をしでかした俺だから、若者がどんなバカなことしても「そんなもんだろう」と思うことが多い。

ラグナロク(世界崩壊)の始まり

そして、俺のこの罵倒がきっかけで最悪の事態が引き起こされてしまったのである。

俺の罵倒により発狂したUが、永井荷風の『断腸亭日乗』(永井荷風の日記)からの抜粋をひたすらコピペして掲示板に貼り付け出したのだ。

そう、ラグナロク(世界崩壊)の始まりである。

Uの連続投稿はイメージでいえばこんな感じだった。

Uによる10月10日 22:10の投稿

八月八日。17 筆持つに懶(ものう)し。屋後の土蔵を掃除す。貴重なる家具什器は既に母上大方西大久保なる威三郎方へ運去られし後なれば、残りたるはがらくた道具のみならむと日頃思ひゐたりしに、此日土蔵の床の揚板をはがし見るに、床下の殊更に奥深き片隅に炭俵屑籠などに包みたるものあまたあり。開き見れば先考の徃年上海より携へ帰られし陶器文房具の類なり。之に依つて窃に思見れば、母上は先人遺愛の物器を余に与ることを快しとせず、この床下に隠し置かれしものなるべし。果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もなし。再び築地か浅草か、いづこにてもよし、親類縁者の人々に顔を見られぬ陋巷に引移るにしかず。嗚呼余は幾たびか此の旧宅をわが終焉の地と思定めしかど、遂に長く留まること能はず。悲しむべきことなり。

Uによる10月10日 22:15の投稿

十二月七日。20 宮薗千春方にて鳥辺山のけいこをなし、新橋巴家に八重次を訪ふ。其後風邪の由聞知りたれば見舞に行きしなり。八重次とは去年の春頃より情交全く打絶え、その後は唯懇意にて心置きなき友達といふありさまになれり。この方がお互にさつぱりとしていざこざ起らず至極結構なり。日暮家に帰り孤燈の下に独粥啜らむとする時、俄に悪寒を覚え、早く寝に就く。

Uによる10月10日 22:17の投稿

正月二日。曇りてさむし。午頃起出で表通の銭湯に入る。午後墓参に赴かむとせしが、悪寒を覚えし故再び臥す。夕刻灸師来る。夜半八重福春着裾模様のまゝにて来り宿す。余始めて此妓を見たりし時には、唯おとなしやかなる女とのみ、別に心づくところもなかりしが、此夜燈火につくづくその風姿を見るに、眼尻口元どこともなく当年の翁家富枩(=松)に似たる処あり。撫肩にて弱々しく見ゆる処凄艷寧富松にまさりたり。早朝八重福帰りし後、枕上頻に旧事を追懐す。睡より覚むれば日既に高し。

正月四日。八重福との情交日を追ふに従つてますます濃なり。多年孤独の身辺、俄に春の来れる心地す。

以上、引用はすべて『摘々録 断腸亭日乗』から

事態を悪化させたのは、Uのお気に入りの作家・永井荷風が、しばしば日記にセクシャルな内容を赤裸々に書き綴っていたことだ。

だからこそ変態のUは永井荷風の『断腸亭日乗』を気にいっていたのかもしれないが、まったく前後の脈絡のない文章を延々と掲示板にコピペされるだけでも嫌なのに、「○○と××して△△した」といったTVショーなら全モザイクもしくはピー音入りの言葉を強制的に読まされる掲示板民の心理的ダメージは計り知れなかった。

当然その間、ネット掲示板の常連たちはみな不安な思いで見守っていた。

「さすがにいつかは終わるだろう」

皆そう思っていたはずである。

しかし事態は一向に収まらなかった。

待ち疲れた掲示板民は徐々に掲示板を訪れなくなった。

チャットも閑散としてきた。

掲示板の終焉が厳密にどういうものだったか、私は覚えていない。

さすがに途中で諦めて掲示板を訪れるのを止めてしまったからである。

あれから20年ほど経つ今日、うろ覚えの掲示板の名前をGoogle検索しても、その掲示板がヒットすることは当然ない。

こうして俺は、ネット掲示板という小世界崩壊の引き金を引き、「てへぺろ」では済まないほどの大きな過ちを犯すことになったのである。

当時の掲示板の常連の方、掲示板の管理人の方、
申し訳ありませんでした‥‥。

あの頃の俺を(適度に)取り戻せ

それで何が言いたいかというと、あの頃の俺は「こんなこと書いたら恥ずかしいな」とか「こんなこと書いたら怒られるかな」とか微塵も考えなかったはずである。

そうなのだ、俺はいったい、俺自身を何者だと思ってるんだ?

何の恨みもない人たちを罵倒することで一つのネット掲示板という小世界が崩壊する引き金を引いた男なんだぞ。

いわば、規模こそ小さいものの、お笑い芸人のコントに出てくるような特に理由もなく核ボタンのスイッチを押してしまうアホなアメリカ大統領に等しいのである。

俺はもっと図太かったはずなのである。俺は大人しくなりすぎた。

今は逆に、あの頃の気持ちを取り戻すべきなのだ。

 

もちろん、どこかのネット掲示板を崩壊させない範囲でだが‥‥。

(おしまい)